文鮮明総裁は1920年1月6日(陰暦)、韓半島の平安北道定州郡に文慶裕氏と金慶継夫人の次男として生まれ、熱心なクリスチャンとして育つ。1935年4月17日の朝、イエス・キリストが霊的に現れ、神のみ旨を完成しなければならない使命があるという啓示を受ける。
韓鶴子総裁は1943年1月6日(陰暦)、韓半島の平安南道安州郡に韓承運氏と洪順愛(大母様)夫人の長女として、三代続きの一人娘として生まれ、祖母と母のキリスト教の信仰の背景、霊的な守りの中で育つ。
文鮮明総裁は1954年5月1日、ソウルに「世界基督教統一神霊協会」を創立。1960年4月11日(陰暦3月16日)には、韓鶴子総裁と聖婚式を挙行された。1968年には世界を共産主義の脅威から守るために「国際勝共連合」を創設。その後も「世界平和教授アカデミー」(73年)、「世界平和宗教連合」(91年)、「世界平和連合」(91年)、「世界平和家庭連合」(96年)、「世界平和超宗教超国家連合」(99年)、「天宙平和連合」(2005年)、「世界平和国会議員連合」(2015年)などの国際平和機関を次々に創設し、各分野において世界的な貢献をされる。言論界においても、1978年から毎年「世界言論人会議」を主催されるとともに、日本で「世界日報」(75年)や米国で「ワシントン・タイムズ」(82年)、韓国で「世界日報」(89年)を発刊。1990年4月にモスクワで開催された「第11回世界言論人会議」では、クレムリンでゴルバチョフ大統領と会談。1991年11月30日には電撃的に北朝鮮を訪問され、12月6日に金日成主席と歴史的な会談をされた。
1992年8月に挙行された「世界文化体育大典」では、国際会議に参加するため世界から集まってきた学者や文化人を前に「メシヤ宣布」を行い、自らが再臨主であることを公に宣言された。2009年3月、文鮮明総の自叙伝『平和を愛する世界人として』を韓国で刊行し、ベストセラーに。日本、アメリカでも翻訳され話題となった。
文鮮明総裁は2012年9月3日午前1時54分、肺炎などの合併症のため、韓国京畿道加平郡の病院にて聖和(逝去)された。享年、数え年で93歳(満92歳)。
韓鶴子総裁は2015年2月、神様の創造理想世界実現に合致した方向で世界のために尽力する人たちを真の父母の名で表彰する「鮮鶴平和賞」を創設。2017年(現在)までに2回の授与式が行われている。
◆韓鶴子総裁 最近の日本講演
2017年5月14日 孝情文化フェスティバル in TOKYOで講演
2017年10月15日 HJ Peace Loving
Festival KANAGAWAで講演
2017年11月16日
孝情文化フェスティバル愛知大会で講演
2017年11月21日 孝情ファミリーフェスティバル in
OSAKAで講演
2018年7月1日 神日本家庭連合
希望前進2万名大会で講演
2017年5月14日 孝情文化フェスティバル in TOKYOで講演
2017年10月15日 HJ Peace Loving Festival KANAGAWAで講演
2017年11月16日 孝情文化フェスティバル愛知大会で講演
2017年11月21日 孝情ファミリーフェスティバル in OSAKAで講演
2018年7月1日 神日本家庭連合 希望前進2万名大会で講演